【HSC・繊細気質】小1娘の行き渋り・不登校記録③~母子登校のスモールステップ、登校拒否~

こんにちは、ふみママです!

わたし
わたし

小1娘と年中息子の2児の母です。
ドラマ「silent」をきっかけに
SnowMan推し!
夫との毎日の晩酌、
ドラマが日々の楽しみのアラサー。
元小学校教員です。

この春から小学校に入学した娘は、入学して早々登校渋りが始まり1学期は学校にあまり行けませんでした…。

小1の2学期から再登校し、
現在は楽しく通っています!

不登校期間中、いろいろな方のブログを読んで支えられました。
わたしもどなたかのお役に立てたらと思い、記録としてまとめています。



前回の記事はこちら↓



①から見る方はこちら↓

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母子登校になる前の金曜日

今思えば、渋りがひどくなり母子登校になった日の前の週の金曜日。


この金曜日は、
初めての懇談会の日でした。


子どもたちは懇談会をしている間、
体育館で待っていることになっていました。


娘は前日から、

「何をして待つんだろう」
「外で遊んでたかったな」
「あばあちゃんち(近所)で待っていたかったな」

と、やたら不安・不満そうでした。

「体育館で待つのは学校のルールだし、きっと楽しいことしながら待っていると思うよ!」

などと声をかけましたが、今思えば、初めてのことにはまず不安・心配がくる娘にとって、学校はよくわからないことの連続で常に気を張って疲れて緊張していたのだろうなと思います。




一緒に帰れるのは嬉しいようだったので、朝はそこまで渋らず出発。



午後、懇談会のために私も学校へ。
懇談会の前にちょうど体育館へ移動する娘に会うと、笑顔はなく不安げな顔をしていたのが今でも印象に残っています



懇談会が終わって体育館にお迎えに行くと、ドラえもんの映画鑑賞をしていたようでした。娘はドラえもんが好きなので、よかったーと思いました。

娘も「結構遅かったね~でもドラえもん楽しかった~」という感じだったので一安心。

と思いきや、帰宅後は「もう懇談会ない?またああやって待ってるのやだ…」と。



まあ年に数回だし、祖母宅で待つのもいいかなと思いましたが、祖母も仕事しているし毎回そうなってもなあと思い、曖昧な返事にしてしまったのも今思えば不安にさせてしまったのかもしれません

娘は、見通しが持てないことや変化が苦手なので、学校で毎日予期せぬことばかりが続き、ずっと不安の中で過ごしていたんだろうなと思います。



思い返せば、

こども園年少のときにも

「避難訓練ってなんだろう」
「集合写真ってなにやるんだろう」
「〇〇ってなんだろう」

と、初めの頃はよく心配していました。

学校生活も、1年間過ごせば大体の見通しがもてるようになるかなと思っていましたが、結局入学1か月ほどで学校にほとんど行けなくなってしまったので、見通しどころか学校でのあらゆることを経験できずに1学期を終えることになりました。



やはり経験して場数を踏んで、学校に慣れていくことが何よりも不安を取り除く一番の方法なのかなと思っていたので、本当に悩ましい1学期でした…。

壮絶な登校渋り、母子登校になった日

懇談会が終わって土日を挟んだ週明け、この日から今までの比ではないほどの登校渋りが始まりました。

「行かない!絶対行かない!」

と、泣いて何度も吐く。


話を聞きながら、

「先生に連絡帳書くよ」
「門まで着いていくよ」

と話をしていても、パニックになっていて聞く耳を持たず。

「お母さんが中までずっと一緒にいてくれないなら行かない!」と。




やはりそうきたか…と思い(娘のクラスには一人お母さんが終日隣で付き添っている子がいたようで、うらやましいというような話をよく家でされていました。)


「お母さんがずっといるなら行けるの?」と確認すると「うん」と落ち着きました。




この日は休ませてじっくり話し合えばよかったな…とあとから後悔したのですが、その時は私も必死で…。

下の子の登園バスがあるため、たまたま仕事が休みだった近所の祖母に下の子は任せ、遅れて一緒に登校。(弟も初めは待っているのを嫌がったけど、待ってるよ…と言ってくれた(:_;)泣ける。)

先生に事情を話して下校までいていいか確認すると、「廊下から見守るというスタンスでいきましょう」ということで、廊下から見守ることに。

本人は、となりに来てほしそうで不安げな顔をしながら何度もこちらを見ていましたが、最後までしっかり授業に取り組んでいました。

先生からは「いつまでもこういうわけにもいかないから、少しずついる時間を短くしていきましょう」と話があり、わたし自身もそう思っていたので、次の日から少しずつ短くする計画を立てました。



でも今思えばこれが間違いだったかなと思います

短くしていかないで、もう少し安心できるまでちゃんとついていればよかったし、本人の希望はあまり聞かず、こちらで誘導する形で決めてしまったから…本人が納得できる形で進めていけばよかった



今思い返せば、この日だけでも自分が間違った対応をしてしまったなと反省することばかりです。いつか爆発した渋りが来るだろうと思っていたのに、全く冷静に対応できなかった。

勇気をもって休ませればよかった。

母子登校開始

母子登校(廊下に付き添い)が始まり2,3日は、

・登校班に混ざって一緒に登校
・学校の門でいったん別れる
 →下の子をこども園に送り学校へ戻る
・廊下で終日付き添い

をしました。




初日や次の日は、わたしが廊下にいなくてもいいのでは?と思うほどスムーズに学校生活を送っていて、友だちとも楽しそうに過ごしていて嬉しかったです。

そのような娘の様子もあり、娘と相談しながら毎日少しずつわたしのいる時間を短くすることにしました。(娘と相談しながらといいつつ、結局はわたしが誘導して決めていただけなんですよね…。これが娘の不安をさらに煽ってしまったと後悔しています。)

母子登校、スモールステップをしてみたら…


決めたのは、本当に小さなスモールステップ。



わたしが付き添うのは、

・歯磨きまで
・ごちそうさままで
・いただきますまで
・3時間目まで
・2時間目まで…

と作戦を立てていました。


しかし、「そろそろお母さんがいなくなる」と思うと不安定になってしまい、朝も行きたがらないし、授業中でも廊下に泣きつきにくるようになり…



これではわたしがいる意味がないし、むしろいない方が娘は気持ちを切り替えてできるのでは…?と思うほど。


わたしが先に家に帰ると言っているわけではなく、「正門のところで待ってる」というだけなのに…(^-^;「目の前からいなくなる」ということが、娘には耐えられなかったのかなと思います。

母子登校ですら拒否

結局、

・朝、弟を送るためにいったん別れるのが嫌だ
・お母さんが先にいなくなるのが嫌だ
・先生が怖い
・朝が早い
・学校にいる時間が長い
・勉強が嫌だ
・つまんない
・幼稚園のほうが楽しかった
・お母さんとずっといたい

など、とにかくいろんな理由を並べて学校が嫌だと…。(ちなみに再登校をするようになった今、これらのことは一切言わなくなりました…!)



「それならスモールステップはやめて慣れるまで最後までいるよ」としたものの、学校に行くこと自体を断固拒否するように…。



お母さんがいても行きたくない!
学校行きたくない!


と、とてもじゃないけど連れ出せる状況になく。


完全に休ませてあげた方がいいのかな…と思いながらも、少しでも学校とつながりを持っていたいという思いから、なかなかその決断ができませんでした。



じゃあせめてお手紙だけもらって帰ってこよう!ということで納得。しばらくは休み時間にお手紙だけをもらいに行っていましたが、それですらもかなり嫌がり。

何とか説得して連れて行く日々でしたが、夜は眠りも浅く頻尿や頭痛なども続き、行きたくないとずっと荒れ果てている娘の限界がきているのかもと思いました。

夫とも話し合いをして、いったん娘を休ませることにしました。
これが5月半ばくらいです。

お読みいただきありがとうございました。

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