小1娘の不登校記録①~小さいころから繊細、人見知り、母子分離が苦手だった~

こんにちは、ふみママです。

わたし
わたし

小1娘と年中息子の2児の母です。
ドラマ「silent」をきっかけに
SnowMan推し!
夫との毎日の晩酌、
ドラマが日々の楽しみのアラサー。
元小学校教員です。



この春から小学校に入学した娘は、入学して早々登校渋りが始まり、1学期は学校にあまり行けませんでした…。

小1の2学期から再登校し、現在は楽しく通っています!


繊細で環境の変化が苦手な娘にとって、小学校入学というのはとてもハードルは高く、登校渋りは間違いなくするだろうなと思っていましたが、まさか学校に行けなくなるほどだとは正直思っていませんでした…。

周りには、
当たり前のように外を歩いて登校する小学生、
元気にワイワイ友だちと帰ってくる小学生。

「なんでうちだけ…」
「どうしてこうなっちゃったんだろう…」
「わたしがいけなかったのだろうか…」
「もうずっとこのまま学校に行けないのかな…」
「下の子が入学するときに(2学年差)、まだ学校に行けていなかったら下の子も行きたくなくなるよね…」

と落ち込み、先が見えず、不安に押しつぶされそうな日々を送っていました。





いろいろな不登校関連の本を読みまくり、
ネットで検索しまくり…
同じような境遇の方のブログをとにかく読み漁りました。

近くを見ると自分たちだけしかいないと感じてしまいますが、全国には同じような境遇の方がいるんだなと、自分だけじゃないんだと救われました。

なので、我が家もまだまだどうなるか分かりませんし未だに不安はありますが、どなたかのお役に立てたらと思い、わたしのやってきたことなどを備忘録として記録していこうと思います。

悩んでいる方はお気軽にメッセージやコメントくださいね。
わたしでよければ話聞きます。

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入学前までの娘①赤ちゃん~入園前


赤ちゃんの頃は、比較的育てやすい子だったように思います。

「よく寝てよく飲みよく食べ」という感じで、繊細さんによくあるずっと夜泣いていたとか、全然寝ない!とかはなかったと思います。

背中スイッチが作動して、なかなか布団に置けないとかはありましたが(^-^;

赤ちゃんの頃は人見知りや後追いもそんなになく、1歳を過ぎていろいろと分かるようになってきたあたりから、人見知りが強まってきたように思います。


育てにくいなどを感じたことはないですが、「人見知り」「母子分離が苦手」という点では小さいころから苦労しました。

苦労というか、友達親子たちと遊んでいて、他の子はママから離れて子どもたちだけでおもちゃで遊んでいても、娘だけはわたしのところにいる…みたいな(^-^;

わたしの友達に話しかけられても無言…。

近所の人にあいさつしたり、スーパーのレジでお礼言ったりもできない…。

という感じで、娘の態度に悶々とすることも多かったです。



(ちなみにわたしは自分からあいさつしたり、お礼を言ったりするタイプ。よく「親がしていないから子どもがしない!」という説を耳にしますが、当てはまらない場合もあるなと実感しています(笑))




娘が2歳半ごろにコロナが始まり、友だちとも遊べない生活に。

入園予定のこども園のプレ保育も、結局年に3、4回ほどしかありませんでした。プレ(母子で一緒にお歌や制作などのゆるい感じ)も、初めて行ったときは固まって静かに涙していました(^-^;

毎回始まる時間までは、広げられたおもちゃで好きなように遊んでいいときも、周りの子は親から離れて好きに遊んでいる子が多い中、我が子はずっとわたしについてきて!という感じでした。



なんでこの子はわたしからこんなに離れないんだろう…
みんなみたいに離れて遊んできてほしいなー

なんてよく思っていました。

そんなこと思ってたから、母子分離不安が長く続いてこうして小学校も行けなくなってしまったのかな…罰が当たったかな…と思いました。

入学前までの娘②子ども園時代(年少~年長)



「人見知り」「母子分離が苦手」という点で心配していたこども園入園。

年少

入園初日は、ギャン泣きでバスに乗って行きました(笑)



意外と次の日からはそんなこともなく、お??まさか意外と大丈夫なパターン?と思っていたら次の週明けから壮絶な渋り(^-^;

最初の一週間はバスの先生がずっと一緒だったけど、次の週から毎日先生が代わることに対して人見知りな娘はかなり戸惑ったようで。

バスは辞めて園まで送る(自転車で10分)ことにしたらだんだん渋らなくなっていき、5・6月あたりには「早く行こうよ~♩」と言うくらいに!

意外と早く慣れて、その後も年少時代は楽しく園生活を送っていました!(そのかわり1学期は帰宅後大荒れでしたが…)


あんなに人見知りで母子分離が苦手な娘も、意外と慣れるのが早かったな、楽しめているようでよかったと安心した年少さん時代でした。

年中



年中になると園舎やクラスの先生やお友達も変わるので、環境の変化が苦手な娘はしばらく慣れるまでに時間がかかるだろうなとは思っていたのですが…

はじめ数日は、

「門から行けるよ!」
「いってきま~す!」

という感じで、お?意外に大丈夫か??なんて思っていましたが…

なんと年中は1年間登園渋りしてました(^-^;

日中は普通に楽しく過ごしていたようですが、とにかく朝がだめで。
思っていた以上に大荒れな娘でした。

実は私が育休から復帰したということもあり、下の子も同じ敷地内の保育園部門に通うようになったり、わたしがどこか遠くへ行ってしまうような感覚?だったりあったのかもしれません。

一応繊細な娘のことを考えて時短勤務にし、朝は少し早いけど、お迎えは今までと同じだったので娘にとってはそんなにガラッと生活は変わらなかったのですが(^-^;

こども園なので、夕方や長期休みは預かりの部屋にかわるため断固拒否!


普通に登園するだけでも、朝大荒れ、頻尿、母子分離不安などがひどくなっていたので、さすがに無理にはできず…


家族や祖父母にも手伝ってもらって、なんとか乗り超えた1年でした。



このときに、

「これは小1がやばいだろうな…」

と思ったことも、仕事を退職した理由の一つ。(今となっては、 仕事しながら今を迎えていたらと思うと…)

もしあのとき復職していなかったら、娘は年中さんも楽しく通って、小学校でも母子分離不安も強まらずに済んだのかなー?なんて考えてしまいますが、まあそんなのタラレバですね。

年長


年中時代、ずっと登園渋りをしていた娘。

みんな門でバイバイしていく中、「下駄箱までついてきて~~(泣)」と1年間下駄箱まで。




そんな娘が、年中の後半ごろに「年長になったら弟とバスで行きたい!」と言い始めました…!


え?朝あんなに渋っているのに?
下駄箱まで付いて行っても泣いてるのに?


と思いましたが、そんなすぐにはバスは辞められないよという話を何度も確認して、大丈夫!というのでそうすることに。

結果、なんと年長さんはまったく渋らず行くように…!!


朝多少行きたくないな~とかはもちろんありましたが、あの日々は何だったんだ?と思うほど、穏やかな日々でした。(今思えばこのときの1年間が一番平和だったんだな…)

それほど、娘にとって弟と一緒に幼稚園に行けるというのはとんでもない安心感だったんだなと思いました。



弟が基本渋るタイプではないので、本当に娘を引っ張り上げてくれて助かりました(´;ω;`)

こうして、年長さんでは登園で渋ることもなく、わたしだけ出かけるときでも泣かずにお見送りしてくれるようになるなど、登園だけでなく日ごろの母子分離もだいぶ成長したな~~と思った1年間でした

これなら、小学校入学後もしばらくは渋るだろうけどきっと幼稚園の時のように行っちゃえば楽しめるだろうなと思っていました。

ですが…

そんな単純な話ではありませんでした。



お読みいただきありがとうございました!

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